護国寺
明治十六年、大正十五年と火災で堂宇の多くを失ったが、観音堂(本堂)は元禄以来の姿を変えず、また、近江三井寺より移築された月光殿(重文)は桃山期の建築美を今に伝えている。
その他、薬師堂、大師堂、多宝塔、忠霊堂や創建当時のものと伝えられる仁王門、惣門。そして中門と多くの堂宇が保存、または再建されている。また、元禄文化の粋を集めた書画・什器の他、国宝、重要文化財等の数多くが寺宝とされている。
震災、戦災と二度の大災害に襲われた東京の都心にありながら、江戸の面影を今に伝える当寺の姿は、訪れる人々の心のふれあいの場として、昔も今も変りなく親しまれている。
不動明王は、大日如来の使者として働く使命をもっている。
不動とは釈迦がさとりを開いたときに、さまざまな魔の手を退けた強い心のように、揺るぎない心と智慧をもつことから名づけられた。
この強い心と智慧で人々を仏道に導くことが不動明王の役目である。
東京都文京区大塚5-40-1
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不動明王と羽衣天女