東日本大震災で各国から派遣された国際支援チームの中に米国籍の医師、生原(いくはら)睦夫さん(50)の姿があった。
平成23年3月28日付の本紙で「母国、日本の力になりたい」と語った生原さん。
支援活動を通じて心を動かされたのは「日本人、東北人の我慢強さ」だった。
生原さんは「アイク生原」の愛称で日米間の野球交流発展に尽力した昭宏氏の長男として幼少時から米国で育った。
長らく内科医として病院勤務をしていたが、2010年ごろから「苦境に立つ人々に希望を持ってもらえるような活動をしたい」とボランティア活動に身を投じた。
震災時に米国の緊急災害医療支援チームの一員として最初に訪れた宮城県東松島市の避難所。
家族を亡くした若い女性看護師が何十時間も休みなしで働いていた姿が印象に残っている。
自分自身も悲しいであろう境遇の中、体調も心配だったので「大丈夫ですか」と尋ねると、女性は毅然(きぜん)とした様子で「他の人の方がもっと大変だから。
嘆いている時間はないんです」と気丈に答え、被災者の世話を続けていた。
「日本人は冷静で感情を表に出さないといわれるけど、他人への感情、思いを人一倍持っている。
自分を犠牲にしてでも奉仕する」
生原さんはその後も被災地をたびたび訪問。
昨年12月には宮城県南三陸町の中学校に、米ロサンゼルスの中学生がつづった励ましの絵はがきや手紙を届けた。
「あなたたちのことを忘れてはいない」。被災地の子供にこう伝えたいとの思いからだった。
生原さんは日本人に感謝しているという。
「本当に苦しいときにこそ見せた、人間の『好意』を見ることができてうれしかった。あのときの日本人の振る舞いを私は忘れない」(福田涼太郎)